プロフィール

イタリアでの料理修業

修業中とはいえ給料がないとつらい。桂オーナーはそんな僕に家族を養う給料も支給してくれた。
ローマでは、「チェレスティーナ」で修業開始。「チェレスティーナ」には、突然飛び込んで片言のイタリア語で「日本人です。ここで働きたい」と必死で説明した。もちろんジェスチャー付きだ。無給ならということで1か月の約束で仕事を確保したのだが、1か月を過ぎる頃にはそのまま見習いとして働けるようになった。結局8か月あまりもここにいたんだ。給料も他の料理人の半分位だったが、日本円で7万円程度もらえた。7万円あれば、3万円のアパート代を差し引いても十分だった。
「お金はいらない、働きたい、飯だけ食べさせて」を条件に、イタリア各地のレストランで働いた。当時、イタリアのリゾート地では日本人、というか東洋人が少なかったから珍しがられて、僕が給仕に出るとイタリア語がしゃべれる日本人ということでお客さまの間で評判になることもあった。
有名人が密やかにやってくる「隠れ家的レストラン」でも働いたことがあった。どこの馬の骨だかわからない東洋人だったが、イタリア各地のレストランで働いていたことを話すと、許可がおり、レストランの2階を住まいとして提供してくれた。LA BETTOLAで出している料理は、こんなイタリア人との出会いと思い出と愛情で作られている。本当にイタリア人って暖かい。
イタリアには、1978~1981年の約3年間いたのだけど、ずっと行きっぱなしではなく、ときどき貧窮状態になって、資金稼ぎに日本に帰って稼いでまた行くという、逆出稼ぎの状態だった。

 

修業したホテル・レストラン名

ローマ
チェレスティーナ
アルチェッポ
コンテヴェルデ
アンバシャータ アブルッツォ
セッテコッリ
トウリオ
ナポリ イスキア島
エルマホテル
シチリア・パレルモ市
グルマンズ
ラ・スクデリーア
シラクサ市
トラットリア アルキメデ
レストラン ミノッセ
カステリーナ イン キャンティ
ダ・トッレ
フィレンツェ
ホテル ミケランジェロ
ホテル アストリア
ボローニャ
ディアナ
フェラーラ市
ファンタスティコ ジョベディ
トラットリア ダ イド
ベネチア
ドウ フォルニ
 
他多数
最初の店「チェレスティーナ」の厨房にて
最初の店「チェレスティーナ」の厨房にて
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